空手道 愛媛
稽古方針
武道の稽古は、まず神殿(神棚)に礼をして姿勢を正し、心を静めて、目を閉じ、黙想をしたのちに行います。稽古中も他言を禁じ、心を浮つかせず、ただ己の鍛錬のみに集中し、休憩中であってもその立ち居振る舞いには気を配るというものです。中々、現代の子どもたちにとっては、なじみにくい部分があるかもしれませんが、古来より日本人はこういった稽古を通して、強健なる肉体と精神を鍛えてきました。礼節や他人を思いやる心、己の惰弱に打ち勝つ克己の心、困難なことに立ち向かっていく勇気などは、このような稽古より育まれていくものと信じます。
昨今、試合の勝ち負けに力を入れすぎるあまり、スポーツ競技のようになってしまった空手流派を目することが多いですが、振武館ではあくまでも武道本来のあり方として、他者との競い合いではなく、道場生個人の肉体的、精神的向上に主眼を置いた稽古を心掛けています。試合に勝つことは決して稽古の目的ではありません。試合は自分を磨き高めるための手段の一つであります。武道稽古の目的は、他者と競い合いそれに勝つことではなく、ただひたすら己を磨き高めることにあると考えます。
『試練が人を磨く』という言葉がありますが、道場とはその試練を与える場であり、またその試練を乗り越えていく場であると考えます。
だだ、厳しさのみを旨としているわけではありません。王陽明の言葉に『大抵童子の情として嬉遊を楽しんで束縛されることを厭がるのは、丁度草木の芽ぐむ時、これを舒暢(のびのびとさせる)させてやればよく繁茂し、これを折ったり撓めたりすると萎けてしまうようなものである。今童子を教育しようとすれば、その教育がまず彼等の中心に喜びを沸かせ、彼等が雀躍してこれに引きつけられるように工夫せねばならぬ。さすれば彼等の必然的に進歩することはたとえば草木が時雨春風宜しきを得れば、おのずから発芽し成長すると一般である。』とあるように、道場生一人一人の個性を尊重し、自主的に成長できる、その手助けになるような指導を心掛けています。
子どもたちが伸び伸び、生き生きと躍動する道場であること。これは当道場が設立当初から最も大切にしていることであります。